安Dのノート

オタクっていいよな

最高だったプリコネアニメを日常とモブという観点から雑語りする 【モブとはキャラを映す鏡なのだ】

【この記事は若干ながらアニメ最終回、及び原作アプリストーリーのネタバレを含みます。ダメな方はブラウザバックしてください。】

【雑語りというタイトルの通り、かなり書き殴りです。そういうのが苦手な方もブラウザバック】

 

お久しぶりです安Dです。 

ほぼ3ヶ月振りです。ちょうどプリコネアニメが始まる前ですね。

いや〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!

 

アニメ最高でしたね!!!!!!!!!!!!!!

 

自分、アニメ途中参加な挙句、アニメを見てからプリコネ始めたかなりの新米騎士なんですが、まぁもうズブズブハマっていくというか、メインストーリー読んで寝れなくなって、そのままの勢いでマナも資材も全部溶かしてペコ育てるぐらいには楽しかったですし、今もアニメの最終回まで見て、あまりにも気持ちよくなりすぎて久しぶりにブログ更新してしまうぐらい。

 

まぁ出だしはこれぐらいにしといて本題なんですが

自分にとってプリコネアニメの1番好きな所は何処かってなると

 

話のメインを美食殿の活動に置いてくれたこと。

 

ここに尽きるかもしれない。

いやでもココだけなら私的最高作品にはならなかったかもしれない。

なので言い直させてもらいます。 

 

話のメインを美食殿と、街の人々との関わりに置いてくれたこと。

 

はい、コレです。本当に、はい。この路線にしてくれた監督と脚本に感謝しかない。ありがとう。ありがとうございます。

いや〜〜ね?どうしても原作ありきのアニメ、更にはキャラも多いソシャゲのアニメ、メイン以外にも多くの原作キャラを登場させる事を大事にしたくなるのは当然。

今回のアニメ化で毎話事にゲスト感覚で原作キャラも登場しましたがそれでも未登場キャラはまだまだ居ますし、出れたけど出番の少ない子もいました。そういう子達の推しからしたら、そうでなかったとしてもこう思った人も多いかもしれない。

 

モブの出番が多すぎる(&強すぎる)のでは???

 

言いたいことは確かにわかる。

なんで原作キャラの出番を削ってまでモブなんかに、という気持ちは理解出来る。

その上で先に言うが、私はこれからそれでもモブが大事だったという事を長々と語る。モブはどう考えても要らないという考えを絶対に変えられないような人はブラウザバックしてくれ。

 

 

プリコネアニメには多くのモブが居たがこの記事ではモブとは主にこの人達のことを指すと思って頂きたい。

最初は美食殿の3人の出会いの為の役割だったイカッチ&チャーリー(ニコニコとかではこのすばコンビって言われてるみたいね)、その母ヤスコ、ペコリーヌのバイト先の(社長みたいな)店長、千葉さんの怪演が光ったブライ。他にも街の人々。

 

うん、まとめただけでも凄い多い。名前が付くようなモブがこんだけいるアニメ、他に中々無いのでは??

そんな彼等は本当に他のキャラ達の枠を割いてでも出てくるべきだったのか

自分の意見はこれに限る

 

彼等無しでは今回のアニメは良くも悪くも良アニメ止まりだった。

彼等がモブだったから今回のアニメのストーリーは成り立ったのだ。

 

今回のプリコネのアニメのストーリーは、原作のアプリのメインストーリーからかなり大きな改変を加えられていて、所謂原作準拠のストーリーではなかった。 

アニメのストーリーは美食殿の3人、特にペコリーヌとキャルの2人の立場を強く意識されたものであった。

最終話のネタバレにもなるが、周りの人間全員に忘れ去られて尚、街の為に、強く在ろうとしたペコリーヌ、陛下からのスパイという立場でありながら美食殿に居場所を見つけ、その狭間で悩むキャル。 

 

何故、ペコリーヌは強く在れたのか、何故キャルは美食殿に惹かれたのか 

 

それを13話で綺麗に表現する為に、彼等モブは必要だったのである。

11話のヤスコ達商店街の人達とペコリーヌの描写が特に顕著だろう。

本当の自分を忘れられ孤独になったペコリーヌ、そんな彼女が街を守るために戦ったのは、ペコリーヌという名前でだとしても、彼女を覚えて、慕って、接してくれた彼等モブが居たからこそ、王女として彼等を守る為に戦う。その行動に説得力が産まれたのだ。

また彼女の元気で明るく誰とでも仲良くなれる性格も彼等との接し方で我々にわかりやすく伝わってくる。

 

そしてキャルが美食殿、そしてペコリーヌに惹かれていく描写も大勢の人と仲良く、常に前向きで、美味しいモノを求め続ける"陽”の存在なペコリーヌと、シャドウを操り厳しく接する陛下としか交流を持たず、スパイであると負い目を感じているキャルという"陰”の存在の対比としてもとてもよく出来ていた。キャルが何故彼女等に惹かれていったのかがとてもわかりやすく描かれている。

特に原作で彼女の生い立ちを知ってる人からしたら尚更だろう。

またシャドウに襲われてたモブにすぐに助けに入ったユウキという描写も、彼の成長を端的に表したいいシーンになっている。

つまり彼等モブは美食殿の皆の在り方や成長をわかりすく視聴者に伝える鏡のようなものなのだ。

 

しかしコレだけでは別にモブではなくてもできるのでは?と思う人もまだいるかもしれない。

例えば12話のペコリーヌが助けた少女なんかはリトルリリカルとかでも良かったんじゃない?前の話で出てたしと考える人もいるだろう。

 

そこでもう1つ、モブが、モブだから良かったという理由がある。それは

 

日常の中にある物語に必然性を持たせない為である。

 

アニメの話の軸となる美食殿の活動目的とは、特別な旅をする訳では無い、日常の中から探す、ちょっとした冒険なのだ。アニメの内容は当然、冒険活劇ではなく、ランドソルの中でドタバタ騒ぐちょっと刺激的な日常なのだ。

所謂日常系としてこのアニメを視聴した人もいるだろう(何を隠そう私も日常系と聞いて見に来たのだ)。

 

ここにモブを減らしては行けない理由がある。

原作のキャラというのは所謂物語を持つキャラなのだ。メタい言い方をすればキャラシナリオを持っているという事になる。彼女達には物語を強制的に進める力があるし、主人公達に関わればなんかしらのイベントを発生されることができる。

そうなってしまうとソコにはストーリーが生まれ、彼女等を軸に話は動く。

 

そしてメタ的に言うならば、彼女達が主人公達に接触するのは"偶然”ではなく"必然”なのだ。

 

彼女達と出会うという事は何かが起きるという事であって、逆に言えば起きたイベントは彼女達と出会ったから起きた"物語”であって"日常”では無くなってしまうのだ。

それでは彼女達の素を描いたとは言い難い。さっきも言った通り、モブ達は鏡のような存在だ。

 

そのキャラの在り方を1番的確に表現するのはモブと接した時になるのだ

 

よく演劇や舞台で緊張した人に「観客を野菜だと思え」と言う事がありますが、それは「相手を意識して演じるのではなく、いつも通りにやればいい」という意味が込められています。

まさにこれなのだ。

 

日常という"いつも通り”を視聴者に意識させるにはモブという"野菜”相手に行動する彼女等を見せるのが1番効果的なのだ

 

また美食殿のメンバーを1つ屋根の下に住まわせ、"家族”としての側面を強くしたのもココに繋がる。

 

人は恐らく家の中というのが1番だらしなくなる。それは誰かを意識して気を使う必要が無いからだろう。

素の自分に戻れるのだ。彼女達が同じ屋根の下で暮らす事で、彼女達は互いにお互いの素を見る事になるであろう事が容易に想像できる。

 

互いのスッピンを知っているというのは"家族”に準ずる関係性を端的に表し、そしてスッピンの行動こそ、我々視聴者に日常を強く意識させてくれるのだ。

 

これは他の日常系でもこの描写があるかないかでかなり印象が変わってくると私的に思っている。

 

 

長くなったが最後に纏めると今回のプリコネアニメ、

ゲームのメインストーリーとは別のものにするという、最近の原作準拠至上主義に叛き、アニメの尺に合わせた内容に変え、彼女達の在り方を描く為に日常系という形をとり、それを丁寧に丁寧に、原作キャラを使えば無難なのに、敢えて日常を演出するためにモブを使うという英断を下した監督と脚本には本当に賞賛と感謝しかない。

並び関わった大勢のスタッフ、そして声優さん達にも本当に感謝。

 

最高のアニメをありがとう。

 

 

P.S. 円盤買います(宣言)